湘南文化よもやま話:湘南を愛した人々

セコムの飯田亮さんは「昭和の高度成長を担った侍」
飯田亮さんと盟友の「太陽の季節文学記念碑」(追悼)

2023/01/15
最終更新:2026-09-14


飯田亮さんと太陽の季節文学記念碑のタイル(落成式)

飯田亮さんの「心の友」石原慎太郎さん
生粋の湘南人として世界大戦後の日本経済復興に多大の貢献をしたセコムの飯田亮さん(1933年4月生)が1月7日に亡くなられました。飯田亮さんは日本初の警備保障会社を立ち上げ、機械化、電子化された警備システムを構築。生活と命の安全を安価に確保できる社会を築き上げた傑物。同世代の仲間たちと「昭和の高度成長を担った侍」の一人です。

その侍たちも令和時代には80才代後半。政治家として実業界をサポートしてきた盟友の石原慎太郎さん(1932年9月生)が昨年2月に亡くなり、財界の親友だった京セラの稲森和夫さん(1932年1月生)が8月に亡くなっています。
共同経営者でセコム最高顧問の戸田 寿一氏は2014年2月に81才で死去(心不全)されています。

「昭和の高度成長を担った侍」
日本の重工業、化学工業、鉄鋼業、自動車産業などの基幹産業は1945年の太平洋戦争終結後に勃発(1950年)した朝鮮戦争により復活。その後の高度経済成長に貢献しましたが、1950年当時は米国の占領下であり経済的に潤うほどのものではありませんでした。GHQに対中国などとの輸入貿易が制限され、コスト高の素材での生産に関わらず指定される価格で米軍に供給せねばならなかったからです。

既存産業が大きな経済的成長につながらない間隙を縫って、特需で潤ったのは、当時の中小企業。その利益で再投資を繰り返し、様々な新事業を開発。高度経済成長につなげました。その中核が飯田亮さんら、たくさんの若い「昭和の高度成長を担った侍」

GHQの指導による戦後の教育制度改革は金太郎飴的教育でしたが、軌道に乗るまでの学生時代を自由気ままに謳歌できたのが1930年前後に生まれた「昭和の高度成長を担った侍」でした。自動車、2輪車、コンピューター、半導体、通信、家電、大規模小売、警備保障など欧米の先進産業をヒントに、侍たちの独創的発想を加えて新製品開発、新事業につなげ、世界のトップに並ぶ経済大国を築き上げる原動力となりました。


飯田亮さんと石原慎太郎さんの「太陽季節文学記念碑」
飯田亮さんは昨年亡くなった石原慎太郎さんの「太陽季節文学記念碑」建立に最大のサポーターとしてプロジェクトを実現させてくれました。観光資源を求める逗子市にとって石原慎太郎、裕次郎兄弟の存在は目玉の一つですが主要産業がほとんどない市は住民の高齢化で税収不足。恒常的に財政が逼迫しています。市としては*巨額な資金が必要な文学記念碑建立は市民の経済的協力が無ければ不可能でした。それが実現できたのは、盟友であり永らく逗子の隣組だった飯田亮さんが先頭を切って、誰もが予想しなかった巨額の寄付をしてくれたからです。
海岸に企画された石碑は軟弱な砂地地盤の強化や周辺整備に多額の資金が必要でした。


飯田亮さんと慎太郎さんの絆ともなった石碑は2005年11月完成.今年で17年になりますが、輝きを失っていません


落成式の石原慎太郎さんと「心の友」飯田亮さん

左端が石原慎太郎さん、右隣が飯田亮さん、一人おいて石原裕次郎軍団の舘ひろしさんと若手俳優


多くの市民からのメッセージが刻まれたタイル

上記写真は下記より転載
「心底から湘南文化と海を愛した石原慎太郎さんの太陽の季節文学記念碑(追悼)」

https://botanicals.co.jp/library_view.php?library_num=764

飯田亮さんのトローリング
湘南と海を愛する飯田亮さんと石原慎太郎さんは藤沢市の県立湘南高校同期生。住まいも逗子市の隣組でしたが、海での交遊は80年代になってから。主として飯田亮さんの伊豆下田弓ヶ浜の別荘を拠点とした伊豆七島でのトローリングやダイビング(主として石原さん)でした。お互いに仕事面で余裕ができたからでしょう。

釣談義で印象的だったのは、地球温暖化に関心を持たれていて、黒潮の流域変化や下田沖で南洋系のバショウカジキが釣れた話。別荘は同じくトローリングを愛した東急の五島昇さんが高齢となってから引き継いだもの。川沿いに広い庭を持ちますが、五島さんは質実剛健の戦前派らしく建屋は質素。

飯田亮さんや慎太郎さんは戦後の湘南で「誰もが貧しかった日常生活」を体験した仲間。食糧、生活必需品が不足していた1945年の太平洋戦争終戦直後の湘南では首都から避難、転居していた日本の皇族、華族や政治、経済を担う人々も土地の住民たちと同レベルの生活をしていましたから、格差社会が進み始めても質素が習慣となっています。飯田亮さんはオーナー企業セコムの成長とともに富豪中の富豪となりましたが、湘南人らしく、お金の話題やマスコミ、講演など目立つことが嫌い。事業家の先輩として景気の波に翻弄されている若い起業家などに救済資金を提供しているのも良く知られていることです。トローリング用の船も下田では漁船を改造した質素で小さなクルーザーでした。

音楽家の平尾昌晃さん(1937年12月生~2017年7月)は藤沢市片瀬在ですが巨額な所得を養護施設など福祉施設への寄付に費やし飯田さん、石原さんと同様に華美を嫌う質素な方でした.
https://www.nogibotanical.com/archives/8344
「湘南人の音楽家平尾昌晃さんと湘南学園創立80周年音楽祭」

目立たぬ日常を好まれた飯田亮さん
ジャーナリストには世田谷の本宅や伊豆、軽井沢の別荘が超豪華と指摘されますが、そんなことはありません。基本的に住環境が貧しい日本では500坪~1,000坪の庭や2~300坪くらいの建屋が豪華、贅沢に思われますが(狭い国土と過密人口を割り引いても)飯田亮さんの住まいは、他国では並の富裕層邸宅といわれるレベル。

軽井沢に新築した別荘も庭は広くとも建屋はシンプルな西洋建築。坪当たり単価はとびぬけて高いものではありません。目立たぬように壁の塗装はグレー。運動不足を補うために地下室にはスカッシュ・コートがありますが一人で楽しむことが多かったようです。

(文責)
太陽の季節文学記念碑建立プロジェクト
プロデューサー

しらす・さぶろう


藤沢市の県立湘南高校に逗子市から通った二人の思い出は夏の江の島と鵠沼海岸