ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

第九十九話:「節分の豆撒きの歴史と何故」

2019/02/01
最終更新:2026-09-08

節分に「鬼は外、福は内」と豆を撒いた後、年齢の数だけ(又は一粒多く)豆を食べ、無病息災を祈る行事とか、柊の枝に鰯の頭を差して飾る風習は、相当歴史があり、紀貫之の「土佐日記」にも後者のことが記されております。
豆撒きの行事は古くから「追儺(ツイナ)」「鬼やらい」とも呼ばれ、辞書によれば「悪鬼・疫癘(エキレイ)を追い払う行事。文武天皇のころ、中国から伝わり、平安時代の宮中において大晦日に盛大に行われ、その後諸国の社寺でも行われるようになりました。
 節分に除災招福のため、豆を撒く行事は、追儺の変形したもの。」とあります。
「大晦日」とあるのは、旧暦には立春が来て初めて新年とする考え方があり、その前日である節分が大晦日だったことから解ります。
つまり新暦の節分は二月三日か四日ですが、旧暦では年内に来ることが多く、古今和歌集にも「年の内に春は来にけり。
一歳を去年とは言わむ、今年とや言わむ」とあるような事情があった訳です。
(元々節分は季節の分かれ目で、春夏秋冬、年四日あったものが、厄を払って新年を迎えるという別格で最も重要な「立春の前日」のみが残ったようです。)
 三つ子さへかりりかりりや年の豆 小林一茶豆音も聞かぬ藁屋に是や此 服部嵐雪年かくすやりてが豆を奪ひけり 高井几董ところで,何故豆を撒くのか、鬼を打つのは他のものではいけないのか、単純には「“マメ“に暮らすため」というのも思いつきますが、どうもそれほど簡単ではなさそうです。
基本的には、大豆を炒ったものを使用することになっており、撒いた後拾って食べればよいという考え方もありますが、どうも農村の予祝行事に由来がありそうで、米や小豆は小さすぎて投げにくく、煮炊きに手間が掛かるし、やはり強い鬼をやっつけるには、大豆が丁度良かったという結論に行きます。
なお、古事記にはイザナミノミコトが鬼に桃を投げる場面があり、古くには、桃に鬼を退治する霊力があると考えられていたようで、鬼ヶ島に鬼退治に出かけた昔話も”桃太郎“でしたが、時代を経て、この桃よりも現実的に入手しやすく、投げやすく、食べやすい大豆に転化したという一説もあることを付記しておきます。
 あたたかく炒られて嬉し年の豆 高浜虚子鬼やらひ二三こゑして子に任す 石田波郷わがこえの残れる耳や福は内 飯田蛇笏 関東地方では、昔から先進的で、節分会でも有名な浅草寺が、大掛かりな「豆撒き」と「お札まき(節分と立春の二種のお札を、大きなうちわで仰いで飛ばした)」の行事を最初に始めたそうで、江戸中期以降、庶民へと広まったようです。(現在ではお札まきはやらなくなっています)
元来、正月の神を迎える祭主として選ばれた「年男」が、最近は、その年の干支の男性が、節分の豆撒きの主役になっております。