ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

第三十四話:「新年を展望する」

2015/01/02
最終更新:2026-09-08
平成27年は、干支でいうと「乙未(きのとひつじ)」となりますが、一般的には十二支の方で〝羊年“をさすので、そのヒツジに関する話題から稿を起こすことにします。「未」という字は、枝がまだまだ伸びきっていない状態の木の形を示したもので、未来、未熟、未明などの言葉から「み」が本来の読みです。
一方「羊」の字は、動物のヒツジを正面から見たときの、角と上半身を表した形から来たもので、後ろ足までの全体を表し、成熟したヒツジの美形を表したのが「美」という字だと言われております。
そのため、めでたく良い意味を持つ言葉;祥・義・善・翔等に用いられて来ました。
その意味でも、旧年のような「羊頭を懸けて狗肉(犬の肉)を売る」悪徳業者が世界から消えてなくなり、「羊に虎の皮を着せた」政治家や似非評論家が世間の表舞台から居なくなって、一説に平和の象徴ともされてきた「羊」本来の完全美の姿を表徴した文字「美」を具現する新年であって欲しいものです。
 ところで、昨今世界の注目を浴びているのが東西の一神教に対峙する古代の多神教であり、中でも西洋的な“God”が最初に存在するという言葉の文化を持つギリシャ・ローマの多神教よりも、我が国の”神道“の独自性が、格別の哲理を提供しているようです。
神道の根本的な原理とは、人間が存在する以前、神々が存在する以前から、既にある天地、混沌、そういうものが最初にあって、本源的な自然の全てに神を感じる自然神、さまざまな御霊を等しく仰ぎ奉るという点にあると言われております。
こうした多神教は、エジプトやマヤ・インカの太陽神崇拝等と十把一絡げにして、原始宗教と蔑んできたのが近代キリスト教的文明論でしたが、ここへ来て、かなり多くの欧米哲学者の研究が進むとともに、「神道とは自然信仰・御霊信仰・皇祖霊信仰の三位一体的な、日本独自の融合でいわゆる宗教信仰というよりは、民族文化、人間哲学に類するものであるとの解明がなされてきたようです。
従って、我が国の戦後左翼やジャーナリズムが、神道=皇国史観=軍国主義といった自虐的で、誤った解釈や、あるいは第三者的にはGHQや戦勝国(国連)による好戦国日本といった一方的な決めつけ論議とは完全に切り離された、”西洋人主導の新しい世界的道義を求める展望観”、“日本文化の高い評価”といった新風が吹き始めてきたことを、日本人として素直に喜び、自信に変えて、国際文化外交に一層励むべきであろうかと考えます。
そのターニングポイントなったのは、東日本大震災の際に世界へ報じられた日本人の忍耐強い行動と自助共助公助の融合、それと伝統的自然観でした。
これらが、世界各国の人々に感動を与え、その源流に神道文化を発見せしめたようです。
戦後70年の区切りを迎える2015年こそ、現下の日本が果たすべき役目というか、宿命を感じる次第です。
 もう一つの最近の話題は、旧年すでに世界的ベストセラーとなった経済学書;フランスの経済学者、トマ・ピケティ(パリ経済学校教授)による「21世紀の資本」の邦訳版がこの年末に発売され、新春講演会やシンポジウム開催が決まったことで、おそらく新年の日本にも「ピケティ ブーム」が起こることが予測されます。
原著は昨年仏語で刊行、本年春、英語版が発売されたことで、米国を中心に爆発的ヒットとなったようですが、緻密な統計手法で、資本主義が勃興した18世紀以来の「所得と富の分配史」を詳述しつつも、カール・マルクスほど悲観的ではないが資本主義の行方には懐疑的な立場をとり、あくまで“資本主義の行き過ぎを修正する施策を求めた”ものだそうです。
(小筆は未読ですので内外書評の受け売りをご海容ください)
資本収益率が国民経済の成長率を上回るため、富の格差が拡大するという分析が柱のようですが、資本市場がもたらす効率的な資源配分機能やある程度の格差を肯定的にみるなど、経済成長がむしろ格差を生んではいないとする点に注目すると、アベノミクスを成功させることは、格差解消につながるとも読み取れそうです。
少なくとも、反安倍派の似非経済学者や左派系メディアが中心になって、早くもピケティ理論の格差発生論を拡大解釈して、意図的にアベノミクスをつぶそうとするような動きが垣間見られますが、そうした作為的な反体制政治活動は所詮無理筋であり、単なる徒労に終わるのが必至でしょう。むしろ、第三次安倍政権が進めようとしている経済施策は、インフレターゲット(デフレ脱却)と併せて経済成長を高め、増税よりも税収の自然増に基づき、弱者救済を含む妥当な再分配を進めようとして居る訳ですから、ピケティ的な処方箋と上手くマッチングしているといった方が妥当ではないかと判断されます。
 アベノミクスの第二ステージが注目されますが、経済の流れは基本的に民間主導に結びつかないと、つまり「企業や国民が自立的に起動しないと真の経済活性化は成し遂げられません」。
従って何かと否定的な暗いニュースを意図的に流し続けるマスコミに耳目を奪われ他力本願に縋るとか、引かれ者の小唄に浮かれて居ては、宿願の構造改革も、TPPも、地方創生も、前進不可能なまま、消費税増税でブレーキがかかってしまった現状のまだら経済模様を成長路線へ転換することなど、とても叶う訳など有り得ないのです。
デフレの時代なら資金を眠らせても、経営責任を問われなかったのですが、実質的なマイナス金利のもとでは、積極的投資に踏み出し、人と資金を動かせないようでは、経営者失格でしょう。
預貯金やタンスの奥に眠ったままの1500兆ともいわれる世界最大の個人金融資産とて、実質価値が目減りするとなれば、そろりと動き出して然るべき筈です。
大胆な金融緩和策を、唯単に、為替や株価、物価だけの表向きの目標だ等と傍観せず、自らそれを活かすべく、実業界も国民も「お金を活かす方へ向かう」ことが、日本経済の活路を開くことを今一度、自覚しておきたいものです。
 一国の存立に大事なのは国防と外交で、その屋台骨がしっかりと構築されていないと、折角の経済成長や富の向上が得られても、経済や生活の安定などは、たちまち消し飛ばされてしまいます。
我が国は有史以来、連綿と続く歴史を持った東亜の安定勢力を維持してきましたが、清朝の李鴻章も李氏朝鮮も「東夷征夷策=反日策」を取ったので、日清日露戦を余儀なくされ、揚句はアジア進出をもくろむ米国が攪乱勢力のソ連や中国と結んで日本を叩いたのが、先の大戦の一局面でもありました。
戦後のアメリカは一転して、態度を豹変させた中ソと敵対する結果となり、今度は叩いた日独と撚りを戻し、東西冷戦を乗り切らざるを得なくなったのでした。
つまり米国とは歴史の浅い大国に過ぎず、先を見る目がなく、短期志向で180度触れる国だということをよく理解しておく必要があります。
オバマ外交一つとっても、中国やロシアの強かさに右往左往しているのを眺めても、Fルーズベルトが犯した大きな早とちりのミスを犯しかねないのです。
GHQが押し付けた日本憲法には国防上の大いなる危険性が一杯ですから、一刻も早く戦後の頚木から脱し、我が国は「普通の独立国の普通の憲法」を取戻し、“世界の安定に貢献する本来の伝統的な姿”を明示すべき時が来ております。
幸い、今般の選挙で、4~6年間の安定政権への可能性を手にした安倍内閣が、必ずや憲法改正を成し遂げてくれるものと期待されます。
 外交面で喫緊の課題となるのは「まっとうな日本を世界に知ってもらう」
国際広報の強化ではないでしょうか。
これまでの弱腰政府と多くの無口・無策の外務官僚が、諸外国に「3S」などと揶揄されてきたように、「居眠りをするか、黙して語らず、ただ微笑む」だけの外交場面での姿勢を繰り返していては、ますます反日宣伝を強める中韓両国が、札びらとガセネタをまき散らし、欧米を味方につける広報戦略によって、慰安婦問題にせよ、南京事件にせよ、靖国神社や領土問題にせよ、あらゆる事実が捻じ曲げられて、不当にも我が国の悪評が広まってしまっており、敵に塩を送るような反日姿勢を取ってきたジャーナリズムや左派文化人による国益を損ねた罪も極めて大きく、万死に値すると思います。
戦後70年、歴史問題をさらにクローズアップせんとする中韓両国に対し、我が国発の「日本の信用と名誉・国益」を守るため、声を大にして客観的事実を地道に発信しつつ、かつ捏造された宣伝への反論を強化する広報発信機能の拡充と資金的バックアップが急務です。
かねて小筆が主張し続けてきた「日本文化センター」を、世界の諸都市に数多く設営し、“日本の文化伝統と政策広報の拠点とすべき”だと重ねて提言する次第です。
幸いにもオリンピック開催まで6年間もありますので、十分なる政策広報予算を確保するとともに「近代国際国家としての責務でもある説明能力、プレゼンテーション能力を磨き」“真正日本”を世界へ向けて売り込む努力を傾注すべき時、まさに来たれりの感を強くしております。
 国家間の競争であれ、企業の国際競争であれ、今の時代は、一元的なパワーに依存する、モノカルチャー思考では必ず負けるので、いかに総合力・総力戦にハイブリッド戦略を構築するかが問われています。
レジーム崩壊の時代では、過去の延長線上に「坂の上の雲」は存在しないので、ハイウエイを降りて市街地や村落を通り抜けるとか、四駆でケモノ道を探索するとか、ある意味“不常識”(非常識ではなく)な思考と言動を通じてこそ、成功への近道だと言われていますので、積極的な差別化、区別化を推奨する次第です。